木野かわらけ保存会

令和2年度文化庁伝統文化親子教室事業

数十年前に、木野のかわらけの製法を伝承するために、保存会を発足しようとの働きかけが起こり、準備がされていましたが、道具や資金面などで保存会を立ち上げることができませんでした。その当時は、かわらけの製作方法をご存じで、体験された方もかなりおられたようです。現在は、体験者もなく、ビデオテープや数人の学者が書かれたレポートをもとに再現しなければなりません。また、木野のかわらけづくりが戦前まで製造されてたのは、ろくろを使わず手捏ね式のかわらけづくりで、神前に供えるには最も神聖なものとされて、御所・上賀茂神社などでも注文を受けていたそうです。木野のかわらけについて、みんなでいろいろな角度から調べてみることが伝承していくためには必要です。

木野かわらけの歴史

古く伊勢神宮にあったとつたえられる土器づくりの原型をそのまま伝えているのは木野の地だけで、今日の伊勢神宮にも残ってない技術である。洛西嵯峨の野々宮の斎宮のための土器製作に発したものといわれ、日々の斎の器を作ったのが始まりとされている。
「日本のやきもの 宇野三吾文」から

母系による技術伝承

木野の土器づくりは母系制の形をとっている。土器を作るのは女性だけ男性は直接制作にはかかわらない。技術者は女に限られ、しかもこの地に生まれた者しか技術を教えないことになっている。作り方は、紐作りでなく、土を手で丸めて肘で打つという技法で、木野しか残ってないものである。「幡枝の土器づくりの女房五人参り、土より仕上げ、土器を焼き叡覧に備える也」 
「後水尾院御湯殿上日記」の条 享保11年(1726)

祭器より作らない

嵯峨から木野へ
「土悪敷御座候て、土器御用に立申さず故、土能き所を見立て候様に仰付なされ、則幡枝村に七十間四方の領地仰付なされ・・・」  
元亀3年(1572) 木野愛宕文書

斎宮の容器を作る木野の住民には、自由に掘る権利が与えられた。  
「後土御門天皇の綸旨」(文明6年4月1474)他16通の申請 木野愛宕文書

原始作法1

木野の土器づくりを検討すると技術面からいっても、人間構成からいっても、これは弥生式土器の時代そのままの技術が今日に伝承されている。
右手の肘に、水でぬらした粗麻(ほえ)を2・3重に巻く。
左手の掌に一定量の埴土をとって丸め、曲げた肘にこれを打ち当てて、右回りに回転しつつ中くぼみの皿を作る。「あせもん」
「日本のやきもの 宇野三吾文」

原始作法2

まったくの原始作法である。
この方法で2・3十センチの皿も作れる。
出来上がったら、水入壺(みごろ)に浸した麻布(ほえ)で皿の口縁を一回りふくと出来上がり。
焼成は、桶形の野積み方式
「日本のやきもの 宇野三吾文」

令和2年度文化庁伝統文化親子教室事業

木野かわらけ保存会” への3件のフィードバック

  1. 初めてご連絡申し上げます。木野の土器をお分けいただくことはできないでしょうか?
    お尋ねします。

    1. 藤村道代様
       木野かわらけ保存会の藤本幸作といいます。木野かわらけ保存会では、かわらけの作品をお分けするほど数量や種類も作っていません。埴土の手づくり作品は私たち試行錯誤を繰り返しながらの取組でして、お分けすることはできません。来年度、親子教室を中心に保存会の活動を予定していますので是非ご参加ください。子どもだけでなく高齢の方から幼児までどなたでも参加できる私たちの取組ですので、気軽にお友達と一緒にご参加ください。歓迎します。その中で作品を作られてはいかがでしょうか。本来の神前にお供えする姿だと私たちは思っています。  
      木野かわらけ保存会 副会長 藤本幸作

      1. 木野かわらけ保存会 
        副会長 藤本幸作さま

        大変失礼しました。今の今までご返信頂戴しておりましたことに気づかずおりました。ご丁寧にありがとうございます。是非ともお教室に参加させて頂きたく、ご案内頂戴できましたら幸いです。
        ありがとうございました。

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